天下一品

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(天下一品のこってり。こってりですよ〜〜)

天下一品ではレジ前に瓶のラムネが売っている。夏だけかと思っていたけれど冬近い寒い日でも瓶ラムネはあった。再生硝子の正にラムネ色の瓶がトロ箱の氷水の中で冷やされている。

天下一品へ行こうよ。元気が出ないとき、なんだかいろんなことが嫌になっちゃったとき、わたしと夫は天下一品へ行く。

もう10年以上前。わたしが発病したころ。病院帰り国道沿いの天下一品で遅い昼ご飯にラーメンを食べたことがある。当時営業職だった夫は天下一品を名前だけは知っていた。だけど1度も入ったことがなかった。

天下一品、すごい名前だね。うん、まあね。そんな会話をしているうちに天下一品だとお、いったい何が天下一品なんだとむしゃくしゃしてきたわたしは、では本当に天下一品なのかどうか1度食べてやろうじゃないかと夫に提案した。

泣いてばかり寝てばかり。当時のわたしはちょっとした家事をするにも疲れ切ってしまう日々。一方道順に慣れてきた夫は、病院帰りは必ず琵琶湖に寄った。ある時はランチに近江牛カレーを食べたし、季節になると長浜の黒壁スクエアで麩饅頭を買う。

わたしは外食が苦手で外食をして楽しかったと思ったことがあんまり無い。いやわたしはひょっとすると何かを食べるということが苦手なのかもしれない。脳の病気のせいだろうか。食べることなど金輪際御免だと考えることはそれはよくあるのだ。

だからその日、病院帰りのわたしが天下一品へ行こうよと言うと夫はとても喜んだ。そしてその日2人で天下一品でラーメンを食べ帰宅したがどんな味だったのかはさっぱり覚えていない。

一昨日の夜のことだ。唐揚げ食べたい。唐揚げいーねー。そんな会話をしながら図書館帰りに天下一品で夕ご飯を食べた。わたしはあっさり、夫はこってり。夫は唐揚げと白飯が付いてくるセット。わたしは160円でチャーシューのトッピングを追加した。

来たっ。褐色の汁をまずはひとくち蓮華で啜る。鶏出汁に薄口醤油が分子レベルで合体し、およそ古色蒼然とした安定のスープ。小口切りのネギとの相性も良く幸せなひとときである。

あっさりなのかなあ。これはあっさりなのかなあ。そんな疑問からわたしは夫のこってりをひとくち貰う。間違いない。こってりは味も香りもこってりであった。であればこちらは相対的に言ってあっさりでしょうな。

丼には麺も追加トッピングをしたチャーシューも姿が見えない。わたしがラーメンを苦手なのはここから、この背脂ぷかぷかの汁から取り出された麺の熱いこと。熱過ぎるよ、なにゆえにこないに熱い麺を食べねばならぬのか(とはいえぬるいラーメンというのもかなり考え難い)。

天下一品のチャーシューには甘い味が付いていない。天下一品のチャーシューにはどうやら2種類あり、単品のバラ肉のチャーシューというのもあるようだがわたしはこのラーメンにのっているやつがとても好きだ。

この薄い堅いチャーシューがすこぶる良い。噛み締めると味がするよな、いや、しないよな。薄さゆえどんぶりの中を当て所なく彷徨うこの硬派な加工肉はまるで海の中でも塩気を拒む海藻のように頑なだ。この簡素なチャーシューは断然「あっさり」の鶏出汁系スープが合う。違いますか、ねえ。

だいたい天下一品行って「あっさり」頼むとか空気読めよ、なのかい。(ダメだな。オチ弱いな、このラーメンレポ)。

てことで天下一品のチャーシュー美味しいよ!

菓子パン

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(天下一品のあっさりラーメン。あっさりとはいえかなりこってりに思えたのはわたしだけ?)

風呂を買った。先月のことだ。風呂を売っている店舗は近所に三軒あって相見積もりをして決めた。

見積もりに来た最終業者は大手であり、ガス会社の御用達であったが、わたしたちの住んでいる公営住宅の築年数が余りにも古いということから生じる様々な不備を流暢に語った。

貧乏人を馬鹿にしたような態度がイラついたがそれよりも何よりも何かの理由でカード決済を一切しないその会社から風呂を買うことは出来なかった。

ここは1番古い、1番安いタイプの風呂釜しか取り付けられない公営住宅だ、それくらいの現金はあるでしょうと言われ正直少しばかり惨めな気持ちになったが、人間の暮らしの豊かさは預金の残高ではないのである。

わたしたちは2番目に見積もりに来た業者から風呂を買うことに決めた。だけどその業者の受け付けカウンターの女性は、わたしたちが「お風呂をください。お風呂を家に付けたいのです」と説明した時、わたしたちがもう何ヶ月も風呂なしの部屋で暮らしていたことにとても驚いており、お風呂って普通在るものでしょう、と何度も繰り返した。その時の対応にも正直心折れた。

さて当日風呂の取り付けに来たのは3人の若い衆だったが、その1人はmiさんと呼ばれており、miさんは念入りに風呂場をスケッチするという独自の見積もり法でダントツ他業者を凌いでのわたしのお気に入り。miさんはあまりお勉強は得意ではないタイプの人だったが若い衆はみな仲良く工事は終始楽しい雰囲気であったのがなんとも良かった。

工事中わたしはmiさんに幾度も声を掛けた。順調ですか?miさんは笑顔で返す。はい、大丈夫です。miさんがわたしに率直に訊く。風呂なしでどうやって暮らしていたんですか?わたしは水浴びだよ、と返した。

miさんには冗談が通じない。ここへ来た時は冬ですよね、水浴びなど出来ませんよね。銭湯だよ。わたしは説明する。ほかの若い衆たちが笑う。それでわたしは真面目に話した。

世界には電気もない、ガスもない、水道もない、そんな国があるからさ、そういうところで暮らして行くための練習をしていたんだ。miさんは神妙な顔で黙ってしまった。ほかの若い衆の1人が凄いですね、と言った。いやそれほどでもない。わたしは腕組みをした。

さてわたしたちは久し振りのうち風呂が有り難くて堪らない。金がないのでしばらくは何処へも出掛けずに風呂に入ろうよ、と夫と次女と話す。追い炊きってすごいよね、段々お湯が熱くなるもんね。風呂に入ることがこんなにも楽しいとは意外である。

翌週ガス会社が風呂の設置確認にやって来た。miさんは大切なステッカーを貼り忘れていたらしく慌ててステッカーを貼りにやってきた。

miさんは言う。お風呂どうですか?

有難いよ、ほんと、風呂って良いよね。

わたしがそう言うとmiさんは大真面目にこう言ったのだ。だけど〇〇さん、これまで風呂なし生活で鍛えた強い心がダメになってしまったんではありませんか。

miさん、そして若い衆たちよ。風呂を付けてくれてありがとう。心から感謝しているよ。わたしは無言で腕組みして何度もうなずいたのだった。

そんなことを夫に話しながらコンビニの菓子パンを2人して食べたが、そのときのそのコンビニの菓子パンはなんだか特別に美味しかった。

天地人、そしてシャーロック

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天地人」は何年か前の韓流ドラマで原題は「発酵家族」という。ururundoさんに教えて貰って直ぐに借りて来て毎日少しずつ観ている。ururundoさんは「ストーリーはどうってことない」と書いていたけれど普通にがっつり感動している。

個人の育った背景がどうであれ、起きた出来事の顛末に寄り添っては思いがけず気持ちが大きくぐらりと動く。

ドラマなんてのはもちろん作り物だけれど、日常のふとした一場面で、あるときわたしの胸の”井戸”に小石が落ちて、井戸の底でコツンと小さな音を立てる。カラカラの空井戸のわたしにも多少は痛みを感じる部分があったんだなとか、そんなこと、カッコ悪いことを思う。

ホテ君。カンサン。そしてサムチュン。サムチュンというのは伯父さんという意味だと思うんだけど違うかなあ。わたしには幼い頃何人ものサムチュンがいた。サムチュン。懐かしいな。

1日に「天地人」と「シャーロック」を続けて観ている。「シャーロック」は英国BBCの最近のドラマでシャーロック・ホームズ役のベネディクト・カンバーバッチがとても良い。

脳のパフォーマンスは毎回絶好調だが対人スキルを向上させることがなかなか困難だ。わたしはこれまでグラナダ版もロバートダウニーjrも私立探偵という在野の正義とホームズ個人の異色を際立たせるエンターテイメントとして捉えて来たがベネディクト・カンバーバッチ版ではやや違う。

人は何を目指しているのだろうか。

何を悲しみ、何を喜ぶのだろうか。

ベネディクト・カンバーバッチ演じるホームズは端正に明解に、時に若々しく快活に「僕が今感じていること」を発信するだけなのだ。そのやり方は有益に自分を開示する結果を生む。

犯罪を抑止したりすることは難しいことだけれど揺るぎない正邪を持ってして進むベネディクト・カンバーバッチはまるで水戸黄門だ。これは英国の良心なのかもしれない。

天地人」のホテ君やカンサンとベネディクト・カンバーバッチ演じるホームズはどちらも愛すべき不器用だ。

頑張れホテ君、頑張れカンサン。何度死んでも生き返るカンバーバッチ、応援してるぞ!

頑張れわたし。死ぬの反対は生きるなんだよな〜、なんてな!

シェーラ・ソーシッスとポー・サレ

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シェーラ・ソーシッスというのは挽き肉を塩漬けにしたものを指すフランス語で、ポー・サレというのもやっぱりフランス語で、こちらはかたまり肉を塩漬けにしたものを指す。というのは河出書房新社上田淳子「はじめてのシャルキュトリー」という本で初めて知った。沖縄から帰ってすぐにわたしがしたのはシェーラ・ソーシッスとポー・サレを作ったことだった。

肉は豚で塩の量は挽き肉でもかたまり肉でも10%である。10%を切るとカビが発生してしまうし、10%を超えると塩辛い。10%でも塩が多過ぎるという人がいると思うが塩蔵肉を減塩で作ることについての調査がまだ足りないのだ。塩が少ないと何かいいことがあるだろうか。わからない。

挽き肉の塩蔵を作るときは肉の温度が10度を超えないように氷水の中に浮かべた厚めのビニール袋で塩と肉を捏ねる。ビニール袋の中には四角い氷も2、3個入れる。氷はなかなか溶けないのでわたしは捏ね終わりで氷を取り出す。

挽き肉の塩蔵に少し砂糖を入れる。これはどこでなにを読んだのかを思い出せないのだがいつもティースプーン1ほどのグラニュー糖を加える。

沖縄の米軍基地のアメリカ人が朝食を食べる店でソーセージをオーダーするとこのシェーラ・ソーシッスを小さなハンバーグみたいにこんがり焼いたものが出て来る。わたしが食べたものはローズマリーとタイムが入っていたがわたしは自分で作るときはハーブは入れないことにしている。

ひょっとするとアメリカ人の店でも焼く直前に生のハーブを混ぜているのかもしれない。挽き肉は最低でも2日は塩蔵しなければ旨味が出ない。お店で食べたソーセージはそれほどハーブがキツくはなかったのだ。

沖縄から帰りもう何日も経ってしまった。500g作ったシェーラ・ソーシッスはもうなくなった。レシピの覚書きとして書こうと思いつつ思い返せば毎朝スキレットで焼いて食べていただけである。

なんとも芸の無いことだ。

twins(双子)②

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その双子の兄と弟は隣町に住んでいたから、わたしたちは同い年だったけれど小学校も中学校も一緒になったことはなく、こうして店のフロアー係と客という風にして出会うまでわたしと彼らとには面識がなかった。

それからのちのある夜のことだった。1人でやってきた彼が今晩は、今週末、僕とデートをしませんかと言った。わたしは少し悩んでから、あの夜に一緒にいた女性はあなたの恋人ではないのかと尋ねた。

あの夜は会社のダンスパーティーがあり、あれはその帰りで、彼女は同僚だと言った。そしてダンスパーティーと言ってもフォークダンスなんだよとはにかんで笑った。もしやと思い尋ねてみると、今週末にもそのダンスパーティーがあり、わたしはそれに誘われたのだった。

わたしはすぐには返答せずにしばらくフロアーを歩き回り、せねばならない仕事をひとつひとつ済ませた。帰ってゆく客の会計をするべく、レジカウンターに入ったり、そのあとは帰っていった客のテーブルのグラスやお絞りを下げ、テーブルを拭いた。

もう閉店が近い。わたしは各テーブルの砂糖壺と粉チーズや塩胡椒などの調味料の籠をカウンターに集める。

粉チーズの紙の筒をひとつひとつ振る。空になっていないか。異物が混入している気配はないか。塩と胡椒の小さな瓶をひとつひとつ磨く。白い磁器の砂糖壺の蓋に溜まった目には見えない1日分の塵を拭うと少なくなったグラニュー糖を袋から足した。

そのとき視界の隅で彼が立ち上がり、帰る素ぶりをした。どうしたらいい。なんと応えたらいい。わたしは困惑し続けた。彼の会社ってどんな会社なんだろうか。会社が設けたフォークダンスの集まりっていったいどんなんだろうか。

フォークダンスでもなんでもいい。わたしは1度彼とゆっくりとりとめのない話をしてみたいとその時は考えた。週末は仕事だったけれど頼めばきっとお店を休ませて貰えるだろう。カウンター係の同僚がわたしに会計を指示するとわたしは彼とレジカウンターで向き合った。

いろいろなことを考え過ぎて心拍数が益々上がっていく。わたしは彼の目を全く見られずにさし出された千円札を受け取りお釣りを手渡した。するとねえわからない?僕、弟の方だよ。彼が言った。

弟?

わたしは咄嗟に彼の全身を隈なく見た。鼠色のジャンパーに紺色のズボン。そして顔を見る。わたしは今夜の彼をてっきり兄の方だと思い込んでいたのだ。わたしがそう言うと彼は満面の笑顔で弟なんだと繰り返した。

フォークダンスの集まりはあまり面白くはないよ、と言い、片手をズボンのポケットに、もう片方の手をバイバイと小さな子どもがそうするように振り、彼は店の自動ドアを出て行った。

わたしは自動ドアを出て彼の後を追った。彼の姿は駐車場の夜の闇に紛れてもう見えなかった。その後すぐわたしは店を辞めた。わたしが彼を見たのはその夜が最後だ。

その夜のカウンター係の同僚は隣町の出身で、双子の弟はある日店でわたしを見かけて、わたしと交際したいと思い声を掛けたのだと聞いたのもその夜のことだった。わたしはなにがあっても双子の兄と弟を見分けることが出来ないままであったのだ。

twins(双子)

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夜の10時の少し前、もう閉店という間際に必ず彼は1人で来店した。それは今から30年以上昔のことなんだけれど、昨日のことのように覚えている。

今週末の夜は空いていますかと彼はわたしに尋ねた。そのときわたしが働いていたお店は両親の経営するレストラン兼カフェのようなお店だったから、毎週末は学生アルバイトさんたちが来てくれて、わたしは休むことも出来たのだけれど、一度も親しく話したこともない人と2人きりで出掛けることに対する不安から仕事なんですと当たり障りのない嘘をついた。

不思議なものだ。いちど誘いを断ったというその事実はわたしの彼への関心をより強めるきっかけとなりわたしはその後、彼がお店に来ると、それはそれは彼を念入りに観察するようになる。

彼の服装はいつも変わらない。工場か会社から支給された制服のようなものだった。ピッタリサイズの薄い鼠色のジャンパーに紺色のズボン。ズボンの丈はどちらかといえば短めだった。彼は足は大きい方だったと思う。靴は、もうずっと長く履いて、すっかり履き心地の良くなった、いかにも歩き易そうな黒革のブーツだったのだけれど、彼の見繕いでもっともアンバランスだったのはこのブーツだった。

彼はひとり窓際の席に座り日没後の闇が店内を映し出す鏡のようになった黒い窓ガラスを眺めていた。またある時はテーブルに肘をついて長い指を顔の前で組み考え事をしているときもあり、お近くですか、そうですねとわたしたちは次第に短い会話を交わすようになった。大人びた、少し疲れたような笑顔から年上だと思い込んでいたが彼とわたしは同い年であった。

彼に一卵性双生児の双子の弟がいるということをわたしは長い期間知らなかった。一卵性双生児とはいえ彼と弟さんとの性格は真逆であり、彼は弟さんよりは遥かに地味で無口であった。

そうとは知らないわたしは彼と弟さんへの入念な観察に脳内を酷く疲弊した。観察すればするほど双子であるなどということは益々思いつきもしなかった。ある時は快活に、またある時は寡黙にと予想がつかない彼を魅惑的に感じていたとも言える。

ある夜、彼と弟さんがそれぞれ女性の友人を伴って来店した。快活な弟さんははしゃいだ。僕たちが双子だってこと、知らなかったでしょう。わたしはすごく驚いてカウンターに戻りそのことを同僚たちに告げると同僚たちは皆既にその事実を知っていた。閉店間際、客の少ない店内は賑やかな喧騒に包まれた。

わたしは気がつけば不躾に彼を長く見つめていた。彼もまたわたしに視線を返した。

その時にわたしは目の前で微笑む弟さんよりも彼を、彼だけ、彼たったひとりをわたしは好ましく思っているのだと確信したが、そんなことを伝えることなどその時のわたしには出来なかったし、そうすることがその場で適当だとも思えなかった。

わたしはその夜悲しかった。彼の次の誘いを待つばかりだった日々の、能天気な自分が馬鹿みたいだったことや、彼を観察し続けていた自分の一生懸命が途方もなくみじめで報いがなく、それを誰に愚痴ることも出来ずまた泣くほどの悲しみでもない。その全てが苦しく辛かった。

さてこの数ヶ月のことなんだけれど、わたしの脳の中のひとりひとりの友人たちが、少しずつ少しずつ、性格や見繕いが徐々に似通ってゆくように思えるのだ。

それは困る。それはだけは勘弁して欲しい。わたしは馬鹿みたいだ。わたしは阿保だ。助けて欲しい。だけどいったい何から助けて欲しいの?

こうしたこと全て、それがいつか忘れ去られ、何もかもがわからなくなる日が来ることから救い出して欲しい。ただそういうことなんです。