Barry Gray - Fireball

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頭の調子が悪くなりメールを送ると友人が車でカフェへ連れて行ってくれた。ここ数日の記憶がブツ切れである。調子が悪く家族と食卓を囲むのか辛い。

心配してくれる家族には申し訳ないがわたしは家族の食卓というものが心底苦手だ。最近益々その傾向が強い。早朝弁当を作り朝食を準備したのち放っておいてくれと書いたメモをテーブルに残して自室にこもる。

昼頃起きていくと長女が遠慮せず休養せよと勧めてくる。弁当など無理をして作らなくてもいいと言う。わたしは身体の安静が脳の過覚醒を鎮めるわけではないこと、むしろ何かやっつけ仕事をした方が気持ちが落ち着くことなど説明する。

そしてとうとうよっぽど悪くなると友人に外へ連れ出してもらうのだ。死にたい苦しい、そんな渦中でもメール等でちゃんと手はずは整えるのがDIDだ。ふらふらしている、出掛けて大丈夫かなどと言う長女を無視し、友人到着。そしていつものカフェへ。

友人は同い年。とにかく馬鹿話。笑い転げる。わたしの送った早朝の写メの中に謎の白黒写真が数枚あったらしい。誰なんだこれ。改めて写メを確認するわたし。イケメン男は3人とも金髪だ。まあモノクロなんだけどね。

そのうちのひとりは60年代のTVドラマ「ナポレオンソロ」の脇役ソ連人諜報局員イリヤだった。Googleからちぎり取った一枚だった。

俳優の名前はわからない。たしかKGBという設定だった。ふうん、あたしこんなやつを送ったんだ。覚えて無いのか。いや覚えてるよ。わたしはちょっと嘘をつく。全くの嘘でもない。送ったのはパトリックだ。パトリックがしたのだ。

「ナポレオンソロ」はよく観ていた。おかしいな、わたしは主人公ソロが好きだったはずだ。そんなことを思いながら友人とひたすらくだらない冗談をやりとりする。鬱の時にはこの方法が一番効く。

友人は新しくしつらえたiphoneの待ち受け画像を自慢する。真上から撮影した握り飯だ。

「食いしん坊か(笑)」

「アートだ(笑)」

わたしは日替わり珈琲を注文していた。マラゴ。ナチュラルマラゴジッペ種だ。540円。うーむ。口当たりが柔らかい。「ヨーグルトに蜂蜜檸檬をプラスした風味」。説明書きを読む。珈琲の味を検証しようと懸命に味わうわたしに、友人は握り飯の具の説明をやめない。

これは白魚の素揚げ、それからこれはホタルイカの醤油漬け。

「そんなものをおにぎりに入れるの?」

「締めは赤蕪漬けだな」友人はドヤ顔をする。この時点で珈琲のフレーバーは新作の握り飯の説明で脳内でめちゃくちゃにされた。わたしがそう言って悪いが少し黙ってくれと言うと友人は悪かったと黙る。

デザートには焼きカスタード。

「なんでふたりでひとつなんだよ」友人はケーキ類をシェアするなら2種類にしたかったと主張する。わたしは甘いものが苦手だ。だがここのカフェの焼きカスタードをどうしても食べたかったのだ。ひとくちでいい。食べたかったのだ。

「食いしん坊か(笑)」わたしは屈託無くもとにかくデザートをもっと食べたいと主張する友人が可笑しくて笑い出した。

「今日は変なメールして悪かった。珈琲もケーキも今日はあたしが奢るよ。でも御免いま手持ちの金があんまり無いんだよ」わたしは小声で説明する。友人は急に神妙な顔付きになり、小さく何度も頷いた。

イリヤ。わたしは友人がイリアを知らないというのでとりあえず「ナポレオンソロ」の説明をした。冷戦時代のスパイものドラマ。しかし頭では別の記憶が浮き沈みしていた。

わたしはかつて本物の国家諜報局員と付き合っていたことがある。彼がわたしに言った。きみ諜報局員にならないか。スパイ?スパイじゃないよ、公務員みたいなものだ。

懐かしい。彼はイリアみたいにイケメンではなかったな。友人はわたしがどんな話をしても絶対に驚かない。彼女こそわたしのソロなのだ。我々のミッションはここで馬鹿話をすること。ソロは相棒イリアの自殺を阻止すること。イリアはソロにケーキを奢ること。

時間だ。席を立つと友人がわたしをじっと見て言った。

「‥‥あたしが払うよ」

わたしは友人を睨みつける。奢ると言ったはずだ。友人はすぐに財布を引っ込めた。

Barry Gray の「Fireball」は変な歌だ。

俺が宇宙飛行士だった時‥‥。ポップな曲調で辛かったミッションを歌い上げる。

「またメール頂戴。イケメン写メは大歓迎」友人が笑った。