多重人格NOTE その9 感覚鈍麻〜リンダリンダ

たいていの人間は晴天を好むものだがわたしは曇り空が好きで鈍い灰色の切れ間の無い分厚い雲を時間の経つのも忘れるほど長い時間見入っているときがある。

 曇り空はわたしの脳への刺激の低い優しい色合いだからだ。西から東へ。南へ北へ。360度の曇り空に心から安らぐ。

 びっくりするようなことだがある日あることを孫がわたしに尋ねた。

 ねぇ、マミちゃん(わたしは孫にこう呼ばれている)て本当はオトコ?

 幼児は正直だ。孫はどうやらわたしの性別が一瞬わからなくなったらしい。素朴に、真実に疑問を持った。オンナらしさ、オトコらしさ。そういうものに目覚め始めたそんな発達の証拠とも言える。

 DIDの困った症状のひとつに感覚鈍麻がある。先立って日常に支障が出るのは痛覚の感覚鈍麻だ。簡単に言うと痛みを感じにくい。キッチンで下手をして包丁で指を切ってもしばらくはなんともない。寒冷や熱感、そういうものにも鈍感だ。真夏日駐車場に停めた自家用車に乗り込んでもなんともない。

 実際のデータとして懇意にしていた内科医から指摘されて発覚したのは心拍数の上昇が通常より鈍いということだったし、DIDの診断となり最もストレスフルだった時期には血圧値も過激だった。過激というのは高くも低くもなるという意味である。看護師さんが目を白黒させる。

 DIDは実際内科や循環器科や婦人科の病名をこれでもかとつけられるだろう。わたしは今は検査数値に右往左往することをしないがこれまでもが感覚鈍麻の症状だと言われればそうかもしれない。

 わたしは自分がDIDなどという病気だと知らないでいた頃には女性から交際を申し込まれたことがある。

 彼女は幾度も、何年間も、長い年月に渡り、時には涙ながらにわたしへの恋心を語った。わたしは彼女が嫌いでは無かったが恋愛感情は持てなかった。今は疎遠になっている。

 10代の後半には女性からのレイプも1度だがあった。レイプと言って正しい。誰にも言えなかった。傷つき苦しんだ。

 DIDがDIDたる所以は誤った記憶の入力方法にある。目の前で何が起ころうと、何を見、何を聴こうと無かったことにする。

 隠蔽。詐称。すり替え。出来る限りあの手この手で記憶を塗り替える。

 自分は人間ではない、鼠だとした日もある。その時はそう思うことで脳が楽になったのだ。鼠だから。わたしは鼠だから。

 他のDIDさんはどうかわからない。

 わたしは恋愛をしたことが無い。

 その人がどれだけ立派であろうとどれだけ優しい表情であろうとわたしは心を許せない。女性とか男性とかではない。人間が無理だったのだろう。家畜をはじめとする動物研究にのめり込み出したきっかけはそんなところにもある。

 治療が進んでゆくにつれわたしは感覚鈍麻を相対化出来るようになった。

 そしてわたしはオンナだ。だからそこんとこは孫も安心している。

 もう50歳になってしまったがここへ来てようやく夫に恋愛感情を抱く日々である。

 今日もウクレレ。ザ・ブルーハーツリンダリンダ」を弾き語り。

 生き抜くために感覚を壊した。失敗失敗失敗の連続。時間はもう2度と戻らないが今日わたしは普通に悲しみ、普通に「リンダリンダ」が心地良い。

 沸き起こる感覚を保つ。感じるとはこういうこと、自分らしさとはこういうこと、わたしはもう鼠の記憶を消すことはしない。

 パトリックも言っている。

 鼠だって立派な生き物さ。