スピリチュアルペイン

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米米CLUB 君がいるだけで


鳥取旅行の話から男はつらいよの泉ちゃんが家出をするやつを観た。泉ちゃんだけではない。人間はやり切れない寂しさで満ちている。


ヘンリーパーセルのオペラを練習。地中海の戦国物語が当時のイギリス人のエンタメであった。ディドとアネイアスは国盗りに明け暮れる人生に飽き飽き。互いに惹き合うわけだが闇の権威たちの画策によりピュアな心を奪われてしまう。


リメンバー・ミーリメンバー・ミー。ディドはアタシを覚えていて、と歌うがその直後にバッ、フォガッチュ!お願い忘れて、こんな悲しい定めなんか!どうか私の何かが貴方を悩ませませんように。そんな切ない歌詞が続く。


失われてなるものか。スピリチュアルペイン。このやり切れない痛みこそが命ある者の真実なのだ。今際の際(いまわのきわ)歌い上げる彼女が清々しくて強健。可哀想なのはメリンダ(メリンダって侍女です)。

スロージャム

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(*)

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プレイリスト「ブラザースー」には5曲。それを繰り返し聴く。ブラザースーはPドッグ、スローラビット、シュープリームス・ボーイらと共同、または単独で、big−hit所属のアーチストの楽曲制作を手掛ける。可愛い顔をした若い男性である。


「原曲のテンポを半分にし、ピアノを加え、サビの最後に弦を載せたんです。そうすればスロージャムになるだろうと思いました」「離れ小島のような俺も、明るく輝けるだろうか、という歌詞をみんなが気に入ってくれて嬉しかった」(**)


スロージャムがわからなくて検索。甘いラブ・バラードのことなんだ。なる〜。


(*)ビスク。エビやカニなどの甲殻類を煮込んで殻を潰して作ったスープ。お料理の上手な友達が作ってくれました。

(**)柏書房 キムヨンデ著 桑畑優香訳「BTSを読む」より

イギリスのオペラ

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ヘンリー・パーセル'Dido&Aeneas ACT3 scene2 〜When I am laid in earth'


アイホンが上手く作動しなくなり機種変。親切なお兄さんにお金払ってなんやかんややってもらったがそれでもクタクタに。不調のアイホンから諸々のパスワードを拾い上げて書き出した。アケチがなんとか、アケチ君、とパスワードがアケチ絡み。アケチって明智光秀じゃないんだけどなあ。猫なんです、と言い訳するのもなあ。


帰宅後白菜キムチの仕上げ。ヤンニョムの調合。今回はカレイのエンガワの塩辛を使う。


ニンニク、生姜をそれぞれ大さじ2ずつ微塵切り。


行平にカップ1の昆布出汁、タピオカ粉大さじ1を溶いて加熱。プルプルのりを作る。


ニンニク、生姜、プルプルのり、


粉唐辛子(韓国産)大さじ4、


粗目の粉唐辛子(種入り)大さじ2、


昆布出汁カップ1。


エンガワ塩辛70gも投入してよく混ぜ、


細ネギとニラを短冊に切ったものをふたつかみほど入れ、また混ぜる。


ヤンニョムが完成。塩漬けの白菜に掛け回してキムチの完成。


一年半ぶりに行った声楽レッスン。新曲はヘンリー・パーセルなるもの。何でもいいや、新曲やっほい〜

本⑦

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スピッツ'ヒビスクス'(*)


カン・スニ著、亜紀書房「キムチの四季」。p42汁カクテキ。私が初めて作ったキムチであるが、このレシピで作ったキムチの汁は赤いガスパチョに見た目も味もそっくりなんである。


秋が来て気温が下がりガスパチョを作れなくなり困っていた私はこの本によりキムチへとシフトチェンジ。毎週月曜日は白菜1.5キロ、大根2キロのキムチ作りである。


作り過ぎだと言われているが勘が掴めるまでは繰り返し作るしかなく、これ失敗作だけど、と食べてもらっていた友人達へ、今度は上手くいった、と配っているうちこの分量が習慣となり今となってはなんの違和感もないですね。


(覚え書き)

出汁昆布をカップ1の水素水(**)に浸ける。


白菜を計量してステンレスの巨大容器に並べる(500gのかたまりを三つ。キッチンスケールが1キロ以上を計れないわけです。)


カップ半分の塩。水3カップを計量。


計量した塩の約半分を白菜の根元辺りに振りかけ、残りの塩と水で薄い塩水を作り、白菜に掛け回す。白菜はそのあと9時間塩水に漬けるので、始まりは白菜全体に塩が回らなくても好しとすることにしている。(白菜の浸水法はまた別の日に)。


塩水塩蔵時間は早い時は3時間。浅漬けだけど失敗ではなく、カン・スニの本にはそういうサラダ風キムチとして紹介されている。


5時間の浸水ではまだ白菜の歯応えがなくヤンニョムの中で白菜から水分が出ることになるが、汁キムチ(なんちゃってガスパチョ)を食べたいならこのくらいの浸水がベスト。ヤンニョムに細切り大根を混ぜると大根の脱水で汁は増えるがガスパチョ味は薄れる。


9時間の浸水は朝一に浸け、外出から帰る夕方まで放置出来、便宜上勝手良くかつ白菜の歯応えの仕上がりも良い。結局家でダラダラしているときに早めに浸水引き上げとなるのは暇だからなのかな。


塩水から救出した白菜を洗い、左手で白菜を吊り下げ、ナイフで白菜をケバブみたいに切り落としてゆく。ステンレスのボールに山積みに落ちた白菜たちにヤンニョムをぶっかけ、混ぜ合わせ出来上がり。


ヤンニョムの配合についてはまた別の日に。


(*)j-popのことを結局カタチを変え品を変えたリズム歌謡だ、と見下している評論を読んだ。その人は多分スピッツのこの曲を知らないんだな。ポップスが思春期の男女のものだけではないことには大きなフカカチがある。スピッツの甘味はじっさいドラマチックもカタルシスも空想もナンバーワンよりオンリーワンもムカンケイなもので私の人生のルーティンにピタリと寄り添っていてそれでいて軽く聴けてだからそれが良いわけ。高尚な何かなんてどこにもないし必要ない。エンタメコンテンツなんて結局好きか嫌いか、キムチもスピッツもワシは好き。


(**)生命保険を解約して水素水サーバーを購入。死亡保険なんて欲しくないと夫が言ったんですよ。ま、愛ですね。

本⑥

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ジャスティン・ビーバー'that's what love is'


落語を見ていた外国人が噺家に「君は友達がいないの?」と聞いたらしい。声色を変え口調を変え、一度に何人も、たった1人で演じ続ける。居ないはずの人がまるで居るかのよう。何か異常な事態に見えたらしい。


Spotifyで落語を聞く。普通にそこには何人も人がいて、何か言い合っているよう。まるで目の前に居るかのような不謹慎で非常識な登場人物たち。事実は小説よりも奇なり。想定外の展開。とうとう辛抱を切らせた屑屋。お宝の火焔太鼓をGET、嬉しすぎておかしくなっちゃった古道具屋。これが文字で読むお話ならば、本を閉じて仕舞えばお終いそこは現実世界。落語もそう。


孫(12歳くらい)とお話作り。ある日黒づくめの男が突然消えた。ねえ、どうしてその人消えちゃうの?私が尋ねると孫が言った。そこはさ、もう読者の空想でいいんだよ、理由なんて幾らでもある、でも本には書かない。


(あー。私たち、本を書いてたのか。)


本⑤

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V'sweet night'


本が好きというより特定の好きな場所ばかりを読む。


「もしも神様かご褒美をくれると言ったら僕はふつうの脳みそが欲しいよ。これは夢物語じゃない。叶うと信じてる。自己憐憫や御涙頂戴でもない。


頭のおかしい僕の奇行に幾度も悩まされ君たちはこれまで途方に暮れることが非常に多かったんである。


(中略)僕は諦めてはいない。過ぎたことを悔やんで、たいへん申し訳ない気持ちに長く苛まれることがあったけれど、そうしてネガティブに支配されても、遮二無二これまでの失態による不始末の欠損をちからづくで穴埋めしてやるなんて、そんな幻想はもう抱いてはいないんである。


僕は変われると信じているんである。この脳みそは徐々に良くなるに違いないと信じているんである。


(中略)これから先出会う隣人たちに、沢山質問をしたい気持ちである。分かり合えるかもしれない誰かと、親しくなりたい。これまで自分をモンスターだと、自分で自分を隔離して生きてきた。だけど人間に少しずつ近づいているんじゃないかなと、この頃思はないでもないんである。


これまで自分が自分がと自分のことばかり優先してきたことを悔やんでいる。これからは人の痛みをわかる人になりたいんである。自分を酷い目に合わせた人を内心で座間あ見ろと思わないように気をつけたい。そいつには僕には知り得ない事情があったのかもしれないじゃないか。

神様どうか僕にそんな魅力的な感性を味あわせてください。そんなご褒美をください。」


「ゼンマイ仕掛けの僕の日本カモシカの夢」より(2020、Carolliena)

本④

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bts'テレパシー'


よく笑うバンタンたちを見ていると私の小さい弟を思い出す。


私がまだ学校に行かない歳の頃のことだ。その日仕事帰りのクズ屋の叔父が集めてきた子ども向きの本が部屋中に散らばっていた。私たちはその本たちを一冊ずつ丹念に調べていた、



私はまだ文字が読めなかったので全ての本の絵だけ見ていた。弟が一冊の本を持ってきて、これを読んでくれと私に迫った。それで私は弟が指差す挿絵を見た。


それは虫のようにすごく小さい人が、屈強な大男と向き合い何か押し問答をしている挿絵であった。弟がしきりに言うので私はとうとう思いつくままに挿絵から話しをでっち上げたんである。


「ちいちゃい、ちいちゃい。それはちいちゃい人のおはなしです」。


弟が笑った。


私も笑った。