米沢亜衣「イタリア料理の本」

うずら豆を煮ると面白いあの模様は消えてしまう。夕方電車に乗り図書館へ。書庫の米沢亜衣「イタリア料理の本」を借りた。ホームでしゃがみこみパラパラ眺める。

生パスタが作りたい。手作りの生パスタの作りたては本当に美味しい。粉に水を注ぐ、捏ねる、そんなシュミレーションをしつつも朝が来ては家族の朝食作りが慌ただしい。

一ヶ月前から長女とふたり、家族5人全員分のお弁当を朝作っている。昼はお弁当を出すだけなので楽である。お弁当作りは楽しい。仕事先で夫たちが食べているおかずの味付けがじっさいどんな風なのかがわかるのもいい。

長女はそこそこ料理が出来るので私は片付け担当。道具出し担当だ。合間をぬってすごく適当な感じのスコーンを石油ストーブの上のペコペコの安フライパンで焼く。薄力粉だったり強力粉だったり、胡桃入りだったりその日の気分で。HBで毎日なにかしら食パンも焼くのだが朝食にはパンの種類が多いプレートを作るのが好きだ。林檎を剥きプレートに配る。手が空けばコールスローもなにかしら刻む。

私はオートミールかプンパニッケルを食べる。

今日は土曜日でお弁当は無し。のんびりリッチなスコーンをオーブンで焼く。オムレツも作ろう。キャベツも千切り。

胸が詰まる。苦しい。頭上に大きな石が乗っているかのような閉塞感だ。夕べ猫が呼吸困難発作を起こして入院した。動物病院の高濃度酸素BOXに危篤状態の猫を預けてとりあえず帰宅。遅くに病院から電話。駆けつける。レントゲンの結果末期癌と判明した。そのときには余命1時間と告げられた。

それならば、と、連れて帰りたい、と言おうとして体が震え、涙が溢れた。元は捨て猫、体の小さいメスの三毛猫のその子をすぐにでもこの腕の中に返して欲しかった。

初めて行った近所の獣医はおじいさんの先生だった。しゃくり上げて泣く私に黙って首を振る。病院で死ぬことになるけれど今酸素BOXから出すのは残酷だと言う。レントゲンを示す。肺水腫。あの子は今とても苦しいのです、出すことは出来ません。ステロイドや消炎剤もやります。ここに預けてくださいませんか。

ママ、猫は動物だよ。人間とは違うよ。家で家族に見守られ死にたいわけじゃないから。私は長女の言葉に何度も頷く。

帰りの車の中で仕事で遠方に出張中の次女、近くに住む三女に電話で猫の危篤を伝えた。次女は帰宅途中のJRの駅で号泣してしまった。今どこ?帰れるの?ママも気づかなかったの。癌だったなんて。今から病院には行けないよ。

朝夜勤明けの主人に説明をする。私はどうやら夜中に主人の工場に電話を掛けたらしいがその記憶は想起出来ない。もしもの時は夜中でも電話をくれると獣医のおじいさんは言った。私の電話に履歴はない。猫は今まだ生きているのだろうか。

病院に電話を入れる。はたして猫は生きていた。すぐに来るように言われ駆けつけるとステロイドと消炎剤が効いて少し呼吸が軽快している。猫は私を見てニャーと鳴いた。

おじいさんの先生は在宅介護用レンタル酸素BOXの説明をしてくれた。とにかく大きな腫瘍で肺呼吸が困難な状態。そしてもう長くはない命の最期を苦しまないで迎えさせてあげたい、そのためのこういうものがあります、少々値は張るが苦しむ猫を見るのは辛い。そしてもうどうしても連れて帰りたかった。その場で設置業者に連絡を入れる。私はまた猫なしで帰った。とにかくBOXの設置をしなければ。

三女と婿が来た。リビングに皆集まる。業者のお兄さんを囲んで説明を聞く。設置完了。コンビニでお金を下ろし病院へ猫を引き取りに。

これは癌に良く効くサプリメント。スポイト式だ。おじいさんの先生は大変危険な状態と言いながらも猫の命をあきらめてはいない。こうすると苦しいです。腫瘍の場所、塞がれている気管支の場所を丁寧に説明してくれた。私は泣いてばかり。

ようやく帰宅。猫を酸素BOXに入れる。綺麗な顔をしている。呼吸も普通。きっと酸素BOXの中は体が楽なのだろう。

昼過ぎ次女到着。このところケンカしがちと悩んでいたフィアンセの彼氏も一緒だ。ふたりして酸素BOXに張り付いている。結婚後、この猫は次女が連れていくことになっていた。次女と次女のフィアンセにひときわ懐いていた。猫さえいればきっと僕らは上手くやっていけるとフィアンセは言っていたその矢先のことだった。

リビングは親戚でいっぱいになった。

私はひとりミルクジャムを煮ている。白く、ふつふつと泡立つ鍋のミルクを眺めながら猫を拾った道の記憶、布団の中で眠る猫、腕の中で丸くなる猫の記憶を辿っていた。猫は幼い我が子のようであり、時には優しい眼差しの姉のようでもあった。何もかもわかっているという顔つきの長年の友人のようであり、小さくてはかないかけがえのない命であった。私は泣いてばかりでいる。とにかく泣いている。