山崎青樹「草木染め〜色を極めて五十年」

ここ数日小説作業の難しさから休息。一旦離れることにした。一旦離れるのは再開するためだ。

筒井康隆が昔何かのあとがきに自分がハッピーエンドを書かない理由について書いていた。ヒトが救済を求めるのはヒトに悲しみがあるからだと。そんなことを思い出しては自分の描こうとしている景色がなんとも腑抜けた嘘っぱちに見えて来た。受け取ることばかり考えている。自分の何かを差し出す覚悟などわたしには無いのかもしれない。

そもそもわたしの差し出すものなどありふれている。それで良いではないか。力抜いて行こう。筒井康隆とか一旦忘れよ。

時をかける少女」。‥‥読んだな(だから忘れよ)。NHKのテレビ版も一生懸命観た。ラストで深町君の記憶が消されてしまうんだよね。NHKの女子高生役の女優さん演技力あったな。困ったときの顔をすごく覚えている。ありゃどうみても十代じゃなかったな。

先週末とある求人に履歴書を送った。近隣市町村のテーマパーク。仕事内容は施設内の掃除。経験不問、年齢制限もオッケー。無職になって15年以上。職歴なしの52才に求人は限られている。

先程担当者さんから電話で面接日を告げられた。そして数分後にまた電話。交通費の補助を全額は出せないと言われる。普通免許が無いわたしはJRなどの公共交通機関で通勤するしか無い。担当者の提示した金額は余りにも少なかった。それでは手元に残るお給金は僅かなものだ。では今回は辞退申し上げると打ち返すようにわたしから言った。面接では統合失調症の話もせねばならない。わたしはあるかなしかのアドバンテージを死守した。

秋が来て毎日のように野山を歩いている。6歳とプラントハンティングごっこ。これよりハンティングエリアに入ります。ハイ。この日は数珠玉を袋にいっぱい収穫した。ネックレスを作る。数珠玉はハトムギの原種らしい。

数珠玉は少し歩いた場所の沢の中に群生していた。1mほどの高さの草を根元から刈って沢から持ち出す。わたしはひとつひとつ手で取るが、6歳はあぜ道にシュートを叩きつけて球を落としていた。誰からも教えられなくても何と無くそんなことをやるわけね。ふむふむ。

臭木(クサギ)の実を見つけたがあそこは国定公園内だろうかと友人に話すと何だそれということで、わたしは臭木の青い実をなんやかんやして縹(はなだ)色を染められるのだと説明した。友人は取ってもいいだろうと言った。

もう20年も前のことだが草木染めの教室を開いていたことがある。草木染めをはじめてやってその発色に落胆する人がいる。淡い緑色や灰色が詰まらないのだ。臭木の実で染めた青色は比較的派手で作業も楽しかった。臭木の木を見つけたら通年何気無くそれが私有地でないか国定公園内でないかを確認し秋に実を収穫する。

わたしは草木染めを教室をやることにした。生徒は6歳と友人のふたり。月謝は貰わない。友人は染め物のなんやかんやを1から手伝ってくれると言う。

久しぶり山崎青樹さんの本をぱらぱら。小説作業のチャージを兼ねてこれはいいかもしれない。熊やら徳川やらの現場へ出向くには無職のわたしにはお金が掛かり過ぎる。まあそちらは辞めたくとも辞められないだろう。こぼれてくるものを受け止めて行くしかない。

1年間の草木染め作業のスケジュールを作成しよう。サンプルは近所の里山に溢れている草や木。畑の一画には藍を蒔こう。今ではポピュラーな生葉染めを考案したのは山崎青樹さんだが彼は古代の草木染めを復興したのだと書いている。

草木染めには日本の色があるのだと言う。

ともかくもわたしは草木染めのうんちくによりかの友人を洗脳したらしく彼女は今草木染めのなんやかんやで頭がいっぱいだ。

履歴書を送ったのは賭けてみたかったというのもあった。そしてまだ諦めたわけではない。満員電車に耐えられるはずがないと反対されるに違いないから主治医にはきっちり黙っていた。

貴女はクリエイターだから。

これは主治医がわたしを慰める時のお決まりの枕言葉だがだけど先生クリエイターにはクリエイターだからこその闘いがあるのですよという持論がわたしにはある。だけどさ、そうかもしれないよ。何にせよ易きに流れる自分の弱さを乗り越えるにはどうしたらいいの。たぶんそしてわたしはそんなかっこいいもんは作ったりはしないよ。

花をつける直前の桜の枝を調達せねばならない。寒い頃の桜の枝は肌色の色素を出す。とりあえず近所を歩こう。

この冬切られてしまいそうな桜の枝を探そうっと。